三浦英之「牙 アフリカゾウの密猟組織を追って」
2019年5月小学館発行。
朝日新聞の記者が、アフリカゾウの牙(象牙)をめぐる密猟組織の実態に迫ったルポルタージュ。
第25回小学館のノンフィクション大賞受賞作。
象牙は「サバンナのダイヤモンド」と呼ばれ、1㌔約20万円(取材時)で闇取引されているという。
牙を狙った密猟の方法が残酷だ。
象を銃で撃ち、死後硬直する前、つまり生きているあいだに顔をえぐりとり、牙を奪う__。
人間の欲深さに暗澹たる気持ちになる。
筆者は密猟組織のドン、過激派テロリスト、中国大使館員、日本の象牙業者らを取材する。
しかし“本丸”には迫れない。
これまでも多くのジャーナリストが実態を暴こうと試みたが、闇は深く、取材を断念しているという。
貧困と繁栄、世界の不条理さだけが浮き彫りになる。
本書の終章で筆者は「アフリカゾウの密猟組織に迫る--。そんな大仰なテーマを掲げて大陸を駆けずり回ってみたものの、(中略)決定的な証拠をあぶりだしたとはとても言えない」と自嘲ぎみに記す。
けれど「落胆はしていなかった」とまとめている。なぜなら「一つだけ誇れること」として「できる限り自分の目と耳で確かめようとした」とする。
確かに。
“命懸け”ともいえる、危険と隣り合わせの取材によって、日本で暮らす私は多くのことを知った。
知ること。
絶滅の危機に瀕しているアフリカゾウ。
最大の要因として筆者は「中国も日本も関係ない。ワシントン条約の問題でさえない」とし「それは我々先進国で暮らす人間の、アフリカに関する無関心ではなかったか」と自責の念を抱いている。
無関心。
密猟者の残酷さに怒りを覚えて読み進めていた私だったが、無関心さこそが一番残酷であり、一番の罪なのだと当たり前の事実を突き付けられた。
自分に関わりのないこと、“他人事”なんてないのだ。
すべてのことはつながっている。
小川哲「地図と拳」
2022年6月集英社発行
第168回直木賞受賞作。
640項に及ぶ大作。
帯には「日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀、満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮。日本SF界の新星が放つ、歴史×空想小説」とある。小川哲さんはSF作家なのか。
題名の「地図と拳」。
なるほど地図は、人間の理性とあくなき野望の象徴なのかもしれない。
物語の舞台である満州。
夢と野望は大勢の犠牲をうむことになるのだが、新たな地図を描こうとした人たちの思いはとても興味深い。
作品にはさまざまな人物が登場し、次々と死んでいく。
それぞれの人生の一場面が丁寧に描かれているので、実在の人物だと錯覚を覚えるほどだ。
一人一人に夢があり、理想がある。すべての人に大切な生活がある。
だから…戦う。
日本が戦い続ける先には敗戦しかないことを冷静に分析する人々も登場するのだが、彼らの理性では戦争は止められない。
では、どうすればいいんだろう。
小説自体はとても面白かった。
けれど、動き始めた大きなうねりって止められないよなぁという少々、絶望的な感想しか浮かばなかった。
社会の小さな変化に敏感になることが大事なのかなぁ。
高知東生「土竜」
2023年1月30日光文社刊
俳優・高知東生の小説デビュー作。
6編の短編からなる本作は、自身をモデルにした主人公の出生の秘密、ヤクザの父、自死した母、薬物による逮捕までが綴られている。
「本当に自分で書いたのか? ハハハ、読んでいただいた方、ほぼ全員からそう言われるんです。でも、本当に自分で書きました(笑)。何度も書き直しはありましたが」。
と著者が答えているネット記事を読んだ。
「本当?」 そんな“失礼なほめ言葉”を抱かずにはいられない作品だった。
舞台は昭和の高知。時代背景や風俗が細やかに描かれ映画的。主人公たちが交わす土佐弁も情感を高めている。
猥雑なものと純粋なもの、清濁あわせもつ人間というもののどうしようもない哀しさに胸をうたれた。
映画を見終えたような読後感だったが、強いて言えば、すべてがうまくまとまりすぎているようにも感じた。6編ともにすべてちゃんとしたオチがあり、伏線もきっちり回収される。きっちりされすぎ、というのはぜいたくか。
次作も読んでみたい。
多和田葉子「白鶴亮翅」
「朝日新聞」に2022年2月1日から8月14日まで連載された作品。2023年5月朝日新聞出版から発行。
あらすじ:ベルリンに暮らす日本人女性・美砂は、隣人のドイツ人男性Mさんに誘われ太極拳教室に通い始める。先生は中国人。生徒はドイツ人のほかロシア人やフィリピン人などさまざまな文化的背景を持った人たちが通っている。彼らとの交流を通して、美砂は日独の戦争の歴史や国、民族、境界について考えを広げていく。
感想:多和田葉子さんの作品を読むのはこれが初めて。面白かった。ベルリンに行ったことがあるし、太極拳も習ったことがある。さらに私が常々関心をもっている「境界」について主人公があれこれ考える点に親しみを感じた。
日本に住んでいると、つい「普通、こうだよね」と同調性を周囲の人に期待してしまう。しかし他民族が暮らすベルリンでは、隣人も習い事の教室で出会う友人たちもみんな異なる文化を背負って集っている...とここまで書いたけれど、なんか違うな。考えてみれば日本だって異なる価値観を持った個の集合体だ。どこだって一緒。
小説の中で美砂は、仲良くなった隣人Mさんとの関係にわずかなヒビを入れてしまった(と美砂自身が感じる)くだりがある。『緩く張られた糸だけから成り立っている今の生活を変えたいという願いがわたしのどこかで燻っていて、そこからくる焦りが、自分が無知のまま世界史の中に放り込まれているという焦りと重なって、これからどうしたらいいのか、その答えを無意識のうちにMさんに求めていた』
他人との距離感を測るのは難しい。踏み込みすぎて、せっかく築いた関係にヒビが入ってしまうこともある。けれど難しいのは当たり前。そんなものだよな、とも思う。
多和田葉子さんの別の作品も読んでみよう。